アワセカガミ
小さい頃に家に三面鏡があった。
サイドの鏡を向かい合わせると、自分の姿が無限の彼方まで連なっているのが見えてとても不思議だった。
遠くの方へ行けば行くほど暗い鏡像でなんか恐ろしくも感じたものだ。
その神秘さが手伝って、あわせ鏡にまつわる都市伝説は洋の東西を問わずたくさんある。
午前0時にあわせ鏡をすると霊が映るとか、呪文を唱えると悪魔が現れるとかが有名。
もう一つ有名な都市伝説に過去と未来の自分が見えるというのがある。
午前2時にやると未来の自分が自分に話しかけてくるとか。
まあこれは完全な眉唾だけど、あわせ鏡に無限に連なる自分の姿というのは、本当の自分の姿ととても似通ったものがある点は当たっている。
話は変わるが、座禅や瞑想をしていると過去や未来が存在しなくて、今しかないことが腑に落ちてくる。
これは概念や言葉遊びではないので、頭で理解できることではなく、体感として感じること。
時間は常に今の連続でしかなく、過去は記憶の中にしかない。
いや、記憶の中というのは語弊があるな。
今の自分の記憶から再構成された虚像でしかない。
記憶にリンクされた感情によってかなりデフォルメされているし、そもそも記憶自体あいまいなもので、偽の出来事が後で付け足されたりする。
同じ出来事の記憶が人によって全然違ったりするのはよくあることだ。
だから、過去というのは実際に起きた出来事とは似て非なるもの。
じゃあ未来は?
未来もやはりない。
頭の中に描く未来は過去の経験をもとに将来こうなるんじゃないかという、都合のいい解釈や勝手な不安を投影したもの。
あるのは今だけ。
過去も未来も心の産物だ。
だけど厄介なのはどちらも今に影響を与えること。
過去は今の行動に影響する。
例えば、過去に気まずくなった人とは今も付き合いにくい。
でもその過去は自分の中で勝手に作り出したもので、相手は気まずいなんて微塵も思っていなかったりする。
一方、未来は将来へ向かっての自分の行動に影響する。
希望を失って悲観的な未来しか描けないなら、それは今の選択を「どうせ~だから」という投げやりな判断でしてしまう。
結果として思っていた未来に近い状態に近づいていく。
この過去と未来、変えることができる。
すでに起こった過去は捉え方で変わってくる。
あの時、嫌味を言われて気まずくなったと思い込んでいたことも、自分のことを思って言ってくれたことだとか口は悪いけれど根はいい人と捉えれば描かれる過去は変わる。
悲観的な未来も、それを避けるためには、今、何をするべきかにフォーカスして行動すると、実際にやってくる未来も全然別のものになっている。
これは「思いは実現する」「引き寄せの法則」と同じことで、見方の違いに過ぎない。
で、話をあわせ鏡に戻す。
この今と過去と未来の関係は、あわせ鏡に映った無限に続く自分の姿だということ。
リアルの自分(今)が動けば、左右に映る鏡像(過去と未来)は同時に変化する。
今の自分が変れば人生が変わるというのはこういうこと。
今の行動を変えるだけで一瞬にして変わる。
新しい一歩を踏み出すことは勇気のいることだけど、その一歩を出すか出さないかが人生の分岐路だ。
過去も未来もひっくるめて人生を変えるために一歩を踏み出すのは
「今でしょ」by 林修
自戒を込めたお話でした。